東北三大祭り、ちょっと深いい話です

23日にダスマリニャスのパルパロ祭りを記事にしましたが、その関連のブログ記事です
移住する直前は仙台市に住んでいました
せっかくの東北なので、東北三大祭りも制覇しました!
秋田市、竿灯まつり 8月3日~6日
近くで見るとこんな感じですが、・・・・
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両手で持ち上げるだけでなく、片手で持ち上げたり、腰に乗せたり、額に乗せたり芸を見せてくれます
そして扇子で顔を仰いで、「どうだ!」って、ドヤ顔するのが面白いです
時々バランスを崩して倒れたりすると、提灯がいくつか燃え上がって、それも楽しいです
竿灯1本で高さは20m、重さは50kgもあるそうです
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秋田駅前から500mほど離れた大通りが会場ですが、ここには主だった製薬会社の営業所が集まっています
私も某製薬会社に招待されて、事務所から眺めるとこんな感じでした
何に見えますか? ・・・・ 稲穂をイメージしているんですって!
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仙台七夕まつり 8月6日~8日
奈良時代に始まったそうですが、江戸幕府が五節句のうちの一つに定めてから全国に広がったそうな
関東では平塚の七夕が有名ですが、東北では仙台七夕まつりです
東北は雪国なので、駅前前にアーケードの商店街が結構多いんです ・・・・ 仙台もこのアーケードが会場です
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飾りの下に入って上を見上げると、とても綺麗です
手の届くところにぶら下がっているので、飾りの和紙のひらひらも良く落ちています
子供はそれを拾い集めます
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でも一番迫力があるのは、青森県のねぶた祭でした
ところが青森のねぶた祭って、1つじゃないんです
弘前ねぷた祭(ネプタ) 8月1日~7日 山車は扇型です
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青森ねぶた祭 8月2日~7日
もう、ほとんど家の大きさの山車です ・・・・ とても立体的作られています
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山車の前には、笛と太鼓のお囃子
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そして山車の後ろには、「はねっこ」が連なります
右右、左左と足で2拍子ずつ飛び跳ねるんですが、基本的には観光客もとびっこの衣装を着れば自由参加できます
この時期に青森のホテルや旅館に宿泊すると、はねっこの衣装を貸し出してくれます
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この「はねっこ」には大事な使命があります
袖や胸元に、小銭を忍ばせます ・・・・ ぴょんぴょん跳ねて、小銭を振り落とします
子供たちは、その小銭を拾い集めるんです
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五所川原ねぶた祭 ⇒ 本当は、立佞武多(たちねぷた)って言います 8月4日~8日
大きいものは高さ20m以上、他に中型・小型も交じります
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ずっと「ねぶた祭」だけ見たことがなかったんです
移住する前の年、「最後に、ねぶたを見たかったな~」って言ったら、単身赴任の青森の駐在員が
「それなら私の家に泊まってください」って招待を受けました
この時期のホテルは1年前から予約済みなので、急に思い立って泊まれるものではないんです
「東北三大祭り・バスツアー」なんてのも売りに出されていますが、その旅程はかなり厳しいものです
青森のねぶた祭を見た後バスに乗って移動し、深夜に青森と秋田県の県境のホテルに宿泊
秋田の竿灯まつりを見た後にはバスに乗って移動し、秋田県南のホテルに宿泊 ・・・・ なんて感じです

弘前市から南に下ると、秋田県の手前に「碇ヶ関」と言う小さな町があります
この辺りの夏祭りも、昔は「祭りの後」は何をしても許される日だったそうです
でもそれは、本来は地元民だけの「暗黙の了解」であったんですが
県外の観光客が増えて、その「暗黙の了解」が廃れ、「夜這い文化」も無くなったそうです
戦後は出兵で夫を亡くした後家さんも多く、田畑を守るための後継ぎ問題があった
そういったものを解消するための、風俗が「夜這い文化」でもあったと教えてもらいました


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コメント

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豊年祭り

 おはようございます。
東北三大祭り ( ^ω^)・・・ TVのニュースで観るだけですね。
秋田市、竿灯まつり、・・・ きっと、風が無いのでしょうね。突風が吹いたら 😱
仙台七夕まつり、・・・ TVで観るだけですが、華やかそうです。これも強風が怖い😆
青森県のねぶた祭、・・・ 有名ですね。色々あるのは知りませんでした。
「夜這い文化」ねぇ~、私の田舎でもあったそうです。 「娘遊び」とか
勿論、全て了解済みでの話で、入口が開けてあるのですね。😋
地元民だけの「暗黙の了解」です。w

No title


 江戸時代の祭りですが、江戸城に近い順から、外へ外を、
解禁されて行くと、聞き及んでいました、東北に祭りが、
解禁されるのは、遅れての夏ですね、写真の秋田の竿燈祭りの、
見事な竹のひなり、フィリピンの南洋竹では、途中切断ですね、
日本の竹は柔軟で、繊細な竹細工にも、向いているのですね、
脱線して、御免なさい、m(__)m

Re.豊年祭り

>Jo59635561さん、おはようございます
本当は東北三大祭りって、1回は見に行く価値があると思うんですが
この時期に自分でホテル等を確保するのは不可能です
かと言って東北三大祭りバスツアーはかなりハードなので、ジジイにはお勧めできません 笑
ねぶた祭りは最終日に「送りねぶた」といって、船に乗せて青森湾に出ていきます
精霊流しと同じ意味だそうです
「娘遊び」私の田舎でもあったそうです ・・・・ あったそうです?
ありました、じゃなくって? 笑

Re.

>ダニエルさん、おはようございます
秋田の竿灯は、たわわに実った稲穂をイメージしてるので、豊作祈願でしょう
昼間は子供ねぶたとかが、それぞれの町内を回ります
そして夜になったら、大通りに集合するんです
その集まってくる様を見るだけでも、ワクワク感が出てきました

No title

Tomyさん、こんばんわ。
少年時代、市の外れにある部落では共同浴場や
夜這いは残っていました。(ちょっと羨ましかった)
街の中心部ではなかったが、電気の通っていない部落もありました。
幼少期に住んでいた町の祭りは喧嘩祭りと呼ばれていました。
県警の機動隊が出るようになって寂れていきました。

Re.

>もちや喜作さん、こんばんは
そもそも「夜這い」と言う言葉を聞いたのも、社会人になってから
東北ではそれもごく最近まで残っていた風習と聞いて、びっくりしました
夜這いなんて江戸時代とかの、ずっと昔の話だと思っていたんです
けんか祭りも、いろんな地方に残っていましたが、だんだんと収まってきましたね
共同浴場は知らないけど、温泉の混浴はたまに残っていました
登別ではおばちゃんたちが、「こっちのほうが広いよ」
って、堂々と男湯に入ってきたのには驚ききましたね
逆だったら大変なことになってるのに~ 笑