親との最後の在り方、私は親不孝者?
これは2週間前に、日本のニュース特番に流れた映像です左が息子でお医者さん、右がお父さんで息子の患者さんになりました ・・・・ 病名は、胆管がん
余命6カ月の宣告ですお姉さんも協力してくれて、最後に両親との同居を決意しました認知症で施設に入っていたお母さんも、実家に引き取りました
娘さんからは、「あと半年しか生きられないんだから、好きなことをすればいいんだよ」と言われますが毎朝畑に出る生活パターンは変わりませんでした
車の運転が危なっかしいので、息子には車のカギを取り上げられました
息子さんは、「最後に3人で暮らすことができて、本当に良かった」と言います余命宣告された、6カ月を過ぎたころです
自宅のベッドの上で、「親が長生きしたら、子供たちは大変だ~」って話していましたがこの3日後、息子さんが台所に立ったわずかの間に、父は旅立ちました左のベッドに横になっているお母さんは、それを理解できていません
私のブログでは、もう何度も言っていますが
「がんだから、最後は悲惨」なんてことはありません
高齢になるほど、がんの進行はゆっくりになります
がんと闘おうとして、抗がん剤治療や放射線治療をすればするほど
がん細胞も「負けてなるものか!」って暴れて、悪液質を放出して患者さんは苦しみます
苦しまずに、亡くなるって理想ですよね
昨日の慢性腎不全患者さんにも、同じようなことが言えます
「透析をしないと苦しむんじゃないか?」
決してそんなことはありません
亡くなる前日まで寝たきりにもならずに、畑に出られたお父さん
特別なことは何もしなかったようですが、十分幸せは伝わってきました
家族との最後の在り方を、一つの選択肢として現役医師が提供してくれた話題でした
高齢になってからのがん治療で、「お父さん、頑張って!」っていう家族の気持ちもわかります
でも治療することによって、余計な苦しみを与えてしまうこともある
そう言うのも、少しだけ分かってほしいなと感じます
私の母親は老衰で亡くなりましたが、亡くなった日の朝
病院の個室でシャンソンを大きな声で歌っていたと、主治医から聞かされました
もちろん、意識はなかったそうです ・・・・ 夢の中で、ステージに立っていたんでしょうね
もし苦しんでいたら、そんな夢は見ていなかったでしょう
主治医とは電話で話していたんですが、「あと2週間は大丈夫でしょう」と言われていました
でも、私の帰国の2日前に旅立ってしまいました
もう少し早く帰国したかったんですが、タール火山が噴火した直後で
子供を置いてフィリピンを離れる判断も難しかった時でした
(帰国できたのは、噴火の17日後でした)
間に合わなかったけど、でも安らかに旅立てて本当に良かったと思っています
余命6カ月の宣告ですお姉さんも協力してくれて、最後に両親との同居を決意しました認知症で施設に入っていたお母さんも、実家に引き取りました
娘さんからは、「あと半年しか生きられないんだから、好きなことをすればいいんだよ」と言われますが毎朝畑に出る生活パターンは変わりませんでした
車の運転が危なっかしいので、息子には車のカギを取り上げられました
息子さんは、「最後に3人で暮らすことができて、本当に良かった」と言います余命宣告された、6カ月を過ぎたころです
自宅のベッドの上で、「親が長生きしたら、子供たちは大変だ~」って話していましたがこの3日後、息子さんが台所に立ったわずかの間に、父は旅立ちました左のベッドに横になっているお母さんは、それを理解できていません
私のブログでは、もう何度も言っていますが
「がんだから、最後は悲惨」なんてことはありません
高齢になるほど、がんの進行はゆっくりになります
がんと闘おうとして、抗がん剤治療や放射線治療をすればするほど
がん細胞も「負けてなるものか!」って暴れて、悪液質を放出して患者さんは苦しみます
苦しまずに、亡くなるって理想ですよね
昨日の慢性腎不全患者さんにも、同じようなことが言えます
「透析をしないと苦しむんじゃないか?」
決してそんなことはありません
亡くなる前日まで寝たきりにもならずに、畑に出られたお父さん
特別なことは何もしなかったようですが、十分幸せは伝わってきました
家族との最後の在り方を、一つの選択肢として現役医師が提供してくれた話題でした
高齢になってからのがん治療で、「お父さん、頑張って!」っていう家族の気持ちもわかります
でも治療することによって、余計な苦しみを与えてしまうこともある
そう言うのも、少しだけ分かってほしいなと感じます
私の母親は老衰で亡くなりましたが、亡くなった日の朝
病院の個室でシャンソンを大きな声で歌っていたと、主治医から聞かされました
もちろん、意識はなかったそうです ・・・・ 夢の中で、ステージに立っていたんでしょうね
もし苦しんでいたら、そんな夢は見ていなかったでしょう
主治医とは電話で話していたんですが、「あと2週間は大丈夫でしょう」と言われていました
でも、私の帰国の2日前に旅立ってしまいました
もう少し早く帰国したかったんですが、タール火山が噴火した直後で
子供を置いてフィリピンを離れる判断も難しかった時でした
(帰国できたのは、噴火の17日後でした)
間に合わなかったけど、でも安らかに旅立てて本当に良かったと思っています
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コメント
私は もし臨終に立ち会えたら耳元に小さな声で生んでくれて有り難う と言いたかったです が叶いませんでした。しかし 母親がいた事で未来に大きな勇気と支えを貰ったと思ってます 感謝です
😊😊😊
2022-05-31 13:00 km2c URL 編集
Re.
私の両親とは、どちらも臨終に立ち会えませんでした
親父は私の帰国の前日、お袋は2日前に亡くなってしまいました
そういう意味では移住が悪かったのか・・・・
でも日本国内にいても、遠くに離れていたら状況はそんなに変わらなかったと思います
ただ、どちらも余命が近づいているのはわかっていたので
数か月前には、子供たちを連れて顔を見せていました
それだけかな~、親孝行できたのは
2022-05-31 15:09 Tomy URL 編集
こんにちは
もし余命宣告されたら、「頑張る」生き方ではなく、
できれば「負けない」生き方を送りたいですね.....
2022-05-31 17:09 チビ URL 編集
Re.
主治医が息子だったからからかも知れませんが、なかなか余命宣告をされても
平常心でいるのは難しいと思います
でも
もし私がその立場だったら、できれば今までと同じように
安穏(あんのん)と生きたいです
特に何かしたいことがあれば別ですが ・・・・
2022-05-31 17:53 Tomy URL 編集
安穏
たぶん残りの時間は、普通に使うのがいいのでしょうね....
何かやり残したことをすると言ってもあまり意味を持たないし...残された人への準備することがあれば..くらいでしょうかね
2022-05-31 21:50 チビ URL 編集
No title
ワタシも無駄な医療費をかけて長生きしようとは思いません。
病気であっても自然死が良いと思います。
別れた嫁は勿論、息子たちも来てくれるかどうかわかりませんが、
墓も弟に任せっきりですから入る事もかなわないでしょう。
はてさて、どうしたものか思案に暮れます。
2022-06-01 07:34 もちや喜作 URL 編集
Re.安穏
はい、意味はよくわかっていました
もう残り少ない命だから、あそこ行きたい、ここ行きたい
あれ食べたい、これ食べたい ・・・・ それもいいんですが
周りの家族にすごく気を使わせてしまいそうです
安穏といつもと変わらぬ生活を続けるのが、穏やかでいいと思います
もっとも、元気なうちに家族が集合して
記念の食事会とかは、もちろん大歓迎です
「最後の晩餐」とか言いながら、2度目の晩餐、3度目の晩餐って
楽しくやるのもいいですね
そして断捨離は残された家族じゃなくて、自分でやれたらな~ って思います
お袋の時は、ほとんど見ないようにして全部処分してしまいました
2022-06-01 07:35 Tomy URL 編集
Re.
突然死って苦しむこともありますが、自然死って意外と苦しみません
たとえ病気であっても
ろうそくの灯が徐々に消えてくるのと同じです
元嫁さんも、息子さんも、そこまで薄情ではないですよ
間違いなく駆けつけてくれます ・・・・ 保証します
お墓も心配いらないですよ
残された者がちゃんとやってくれますって
2022-06-01 07:39 Tomy URL 編集