【番外編】 ブータン、ガーナで懸け橋となった日本人 その2

② ガーナ偏 
武辺寛則さん、1940年生まれ
長崎県生まれで大学を卒業後、商社に入社
しかし少年時代からの夢をかなえるために25歳で退職し、青年海外協力隊に参加します
そして26歳の時に、ガーナのアチュワ村に日本人で3代目の村落開発普及員として派遣されました
武辺さんの村での役割は ・・・・
「自給自足の村で、現金収入の向上を計るプロジェクトを、村人とともに企画・実行する」です

最初にしたのは調査です ・・・・ 家族構成、人口、職業、収入
村人にとって今回のボランティアは大ハズレ、「調査ばかりしてて、お金も食料も持ってこない」
武辺さんは調査終了後に、どんなプロジェクトを立ち上げたらよいか決める ・・・・ そう考えました
武辺さんは、さっそく村人一人一人に意見を聞きます
何をして欲しいか? 何をしたいか? 好きなものは何か?
でも村人たちが言うのは、海外援助隊に求めるものは食料ばかり ・・・・ 何をしたい、がありません
その中で好きな食べ物は、チキンとタマゴでした
「よし、この村の産業として養鶏を始めよう」
しかし村には、ヒヨコを仕入れる資金すらありません
やっと工面したお金で養鶏をスタートさせたんですが、村び津達は次々と離れていきます
きょう食べるご飯もない中で、1年後のタマゴの収穫まで待てなかったんです
しかも餌代、ワクチン代とお金が必要なのに、途中で感染症により全滅したら ・・・・ 借金だけが残ります
養鶏プロジェクトは、とん挫しました
武辺さんは考えを改め、様々な支援団体に声をかけて食料調達を始めました
村人たちには喜ばれましたが、干ばつが起こるたびに食糧支援を続けなければならない
武辺さんは悩みます
「こんどは初期費用、維持費用が少なく、村人たちが参加しやすいプロジェクトを立ち上げよう」
村を歩いていて見かけたのは、小ぶりなパイナップル
「これは、干ばつで枯れなかったんですか?」
「ファンティーパイナップルは青くて小さいけど、干ばつに強いんだよ」
それまで村でパイナップルを栽培していたのは、5,6人ほど
それも栽培の技術が低く、収穫量はごくわずか ・・・・ なので自家消費用でした
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武辺さんは、ファンティーパイナップルの調査を始めました ・・・・ よし、これだ!
パイナップルの苗を買うための初期費用がありません
武辺さんは各国大使館を回りました
「貧しいアチュワ村を救うためのプロジェクトに、寄付をしてください」
資金を確保し、パイナップル・プロジェクトがスタートしました
しかし、多くの村人たちは ・・・・ 「どうせ失敗する」と参加してくれません
一部の協力者とともに、農地の整備から始めます
1年が過ぎ、そろそろパイナップルが順調に育ってくると、周りで見ていた村人たちが少しづつ
「私達にもパイナップル栽培をやらせてください」
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それを聞いたスタッフが、「何をいまさら」
武辺さんは、「いや、これで良いんだよ」と言って、苗と農機具を貸し出してあげました
アチュワ村の長老たちは話し合い、「武辺さんにナナシピ(長老のこと)になって欲しい」と依頼します
26歳の外国人が長老になるなんて、異例中の異例です
「でも僕はもうすぐ日本に帰らないといけないです」
「構いませんよ、ナナシピになったら遠く離れてしまっても、ずっと心の結びつきは続きます」
武辺さんは、ナナシピを受け入れました
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1989年2月25日
武辺さんは病気になった村人を隣町の病院へ運ぶ途中、事故にあって亡くなりました ・・・・ 27歳
村に戻ってきた武辺さんの亡骸に向かって、スタッフが言いました
「武辺さん、貴方にはまだやる事があるでしょ!」
泣きながらパイナップル畑に向かいました
そこには、今まで一緒にパイナップル畑を耕した村人たち全員が立っていたのです
村人たち全員が、パイナップル栽培で一致団結しました
半年後 ・・・・ パイナップルが出荷されました
今では首都アクラだけでなく、ヨーロッパにまで輸出されるガーナの名産になりました
アチュワ村は山裾にかけて、見渡す限りパイナップル畑になりました
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【後日談】
武辺さんの死後、彼のご両親がガーナにやって来ました
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そして、「息子の弔慰金は、学校建設のために使ってください」
と、日本からお金を持ってきました ・・・・ そのお金で建った学校です
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いまではパイナップルの収益で、村には水も電気も通るようになりました
アチュワ村では、今でもみんな「TAKEBE」さんの名前を知っているそうですよ
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コメント

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Tomyさん、おはようございます
先週のアラバン運転免許講習ツアーから帰って、ウチのも自分も鬼のカクランと知恵熱でしばらく寝込んでました😂😂38.6度くらいの熱がしばらく続いたので、病院行くかどうか迷いましたが、いまいち踏ん切りつかず、解熱剤飲んでひたすら寝てたら何とか良くなりました(苦笑)
Tomyさんの記事に書かれたこういう偉業を成し遂げて若くして亡くなられた方というのは、天からの使者なんだと思います
無私の奉仕を自分の人生を捧げてできるというのは、平々凡々と生きる人間にはできないですもんね
自分もいつも為替の動きに一喜一憂して、金勘定に振り回される日々が恥ずかしくなりますwww残りの人生、せっかくフィリピンに来たのだから、何か少しでもフィリピンに貢献できるようなことがしたいですねぇ
よし、頑張って外食消費してフィリピン経済を盛り上げるぞー(ってそこ?)www

Re.

>ヌバリのバボイさん、おはようございます
発熱で、二人で寝込む ・・・・ 仲いいですね~ 笑
昨日、南ルソンの会で一本槍に行ってました
バボイさんが寝込んでいる間に世間では三連休 ・・・・ 道路がメチャ混みです
我が家は外食を減らそう、減らそうと思っているんですが、掛け声だけです
少しはフィリピン経済に貢献していますかね~?
あ、Lazadaにはかなり貢献してます!
配送の係りには仕事が増えて、メリットがあるかも ・・・・

No title

 こんにちは。
27歳で他界って残念で悔しかったでしょうね。
これだけで涙が出る思いですが、その後に地元民の頑張りもあって
海外に輸出するまでになっらことはよかったなぁ頑張りがいがあったなって思います。
子の頑張りを次代迄伝えて欲しいと思います。

Re.

>もちや喜作さん、こんにちは
この渡辺さんも、任期の2年を迎える時期でした
でもそのまま帰国できたかどうかは、分かりません
地元民から要望が出て、更に2年 ・・・・ ってなっていたんじゃないでしょうか?
昨日もそうですが、自分がお金持ちになるよりも
人の役に立ちたい! ・・・・ それが生きがいになっている方たちでした
本当のODAって、お金を配るだけじゃない!
岸田さんにも伝えてくださいな 笑