ご懐妊後の、出産まで

2011年、梅雨頃までの経験です
 

妊娠して3か月後の年末

無事妊娠したのは良いのですが、最初の第一関門がありました

男にはわからない、「悪阻(つわり)」

あまりにもひどく、可哀想になったので病院に連れて行ったら即入院

二卵性双生児は胎盤が二つあるので、悪阻が厳しいそうです

殆ど食事も摂れず吐いてばかりいたので、脱水症になっていました

胃酸を何度も吐いていて、クロール(塩素)値も低下していました

結局、一週間の予定が二週間の入院

カミさんはと言うと、初めての入院でご機嫌

 

それでも無事に年を越し、お腹も目立ち始めました

エコーで性別も分かり、そろそろ出産の準備でも始めるかーの時期

住居は仙台市

その日は出張が入り福島県郡山市へ・・・

午後246分、その時がやって来ました

東日本大震災です

停電・断水・Wifiストップの中で、携帯も繋がりません

地震の規模も分からなかったので、もしかしたら新幹線も動くんじゃ

と思って駅まで行くも、復旧の見込み無し

じゃ次は高速バスかな? と思ったが東北自動車道も通行止めでバス運休

あっという間に暗くなってきて、ホテルでも探そうか

でも駅前のホテルは全て臨時休業

やっと郡山ビューホテルにたどり着いたら、1階ロビーは宿泊客と避難者で立錐の余地なし

聞いたら給水タンクが倒れて、客室は水浸しだそうです

それでも一夜を明かすことを許してくれて、夜食のおにぎりまで用意してくれました

本当にありがとう!

翌朝、タクシーを拾おうとしたものの、なかなか捕まりません

自然と、「どちら迄お帰りですか?」と同じ方面同士のグループが形成されてます

私のグループは、仙台・古川方面客

やっとタクシーを捕まえるも、「市外には行きません」との答え

停電で、ガソリンの給油が出来ないそうです

こうなったらフィリピン流、袖の下

何とか倍料金で福島市まで、同時刻の福島原発での水素爆発は後で知りました

チームの3人とも打ち解け、荷物見張り係、食料調達係、タクシーを見つけ交渉する係

公共機関に行くと、「移動は無理です、避難所に行ってください」

でもそんな事してると、帰るのに一週間もかかりそう

タクシーを見つけると、4人で取り囲み嫌がる運転手に金を握らせて、4台乗り継いで大渋滞の中なんとか仙台までたどり着きました

 

自宅マンションに2日ぶりに帰ると、1階ロビーで住民の避難生活

身重の妻は、とても大事にしてもらってたそうです

エレベーターが使えないので、ほかの家族が降ろしてきた布団にくるまってます

「地震があったとき、何してた?」と聞いたら

「台所にいたんだけど、玄関に置いてる陶器の置物が倒れると思って玄関に行った。あなた大事にしてたでしょ」との事

タイで買ってきた置物だけど、とっさにそんなこと考えるなんて・・・おバカ

結果的には玄関に行ったので、倒れた食器棚の下敷きならず幸いでした

転倒防止ストッパーもちゃんとしていたんですけど、これって震度5までしか有効じゃないんだそうです

仙台は震度7弱でしたから無理ですね

ライフラインの途絶えた中、東京の実家への疎開も考えましたが、移動中に産気づいたら元も子もないと言う事で仙台でじっと耐えてました

そして5月の定期健診では、母体を考え翌月に帝王切開が決まりました

そして6月、無事双子ちゃんが誕生しました

でも早産で黄疸も出たため、退院は7


今振り返っても、いろいろ大変だったなー

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コメント

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No title

大変な思いをされての出産だったんですね~。
名古屋でもかなり揺れたので、仙台は如何ばかりだったとお察し申し上げます。
でも、その凄い揺れの中で玄関の置物に気を配って下さった奥様は、その一つの事柄だけでご主人をいたわる優しい心配りが素晴らしいと思いました。
TOMちゃんの奥様もそうなんですが、どうやったらそんな素晴らしい方と巡り合えるのか、いつかご教授くださいませ~。^^

No title

> waikiki66さん
玄関の置物の件は、パニックに陥ったときのとっさの行動だと思います
例えば火事で、洗面器を持って外に避難したみたいな・・・
もし実際に会ったら、幻滅しちゃうかもしれないですよ 笑