米軍の「トモダチ作戦」の、深~~い話(前編)

先日、ブロ友のヤマハバイクさんのブロブに、東日本大震災関連の記事が載っていました
(クリックで、記事にジャンプできます)
震災で両親と妻を亡くし、経営していたクリーニング工場も流され
夢も希望も失い、このまま日本にいても立ち直ることができない
そう感じて、立ち直るためにセブ島へたどり着いたと言う話の流れでした
私も被災者だったので、この記事を読んだ後、いろいろ思い出しました

今日・明日、読者の皆さんに是非伝えたいことがあります
「Operation Tomodachi オペレーション・トモダチ」の、深~~い話です
「トモダチ作戦」は、あまりにも有名な話ですが、簡単におさらいしますね
本日分は、ニュースでも流れていた内容なので、よくご存じかと思います

震災の日、
米原子力空母「ロナルド・レーガン」は日本から1300キロ近く離れた太平洋上を航行していました
米韓合同演習に向かう途中だったのです
艦長だったトム・バーク氏は、艦内でCNNテレビの映像にくぎ付けになっていました
そしてロナルド・レーガンを中核とする部隊の司令官だったロバート・ギリア氏に連絡した。
「(被災地の周辺海域に)向かうべきだと考えますが、どうですか」
するとギリア氏から、「よし行こう」との返事が返ってきました
2日後の3月13日、アメリカ艦隊は仙台港に到着しました
ここから2週間、アメリカ艦隊は復興に力を貸してくれたのです
艦長のトム・バークはパイロット出身
空母は副艦長に任せて、自らヘリコプターを操縦しました
最初に向かったのは、被災地支援
「海岸地域ではあらゆるものが流され、イラクで見た砂漠のように思えた」
「世界の被災地へ支援物資を運んだが、こんな光景を見たのは日本が初めてでした」

それは、どんな光景だったのでしょう?
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世界のどこの国でも救援物資を求めて、被災者がヘリコプターへ向けて走り寄ります
その為、低空にホバリングして物資を投げ落とすのが、我々の常識でした
ところが日本では被災者が物資の積み下ろしを、列を作って手伝ってくれたんです
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そして彼らが私に言いました
「もう、これだけあれば十分です。残りの物資は次の避難所へ届けてください」
私たちはビックリしました
最後には、全員からお礼を言われました
我々は、物資を奪い合うように持ち去る光景しか見たことがなかったからです
着陸しやすいように、「H」の文字が書いてありました
その隣には、「Thank you USA」の文字も・・・
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被災地のどこへ行っても、パニックも、暴動も、ただの一度も見かけませんでした
多くの悲しみと絶望を抱いていたはずなのに、我々を笑顔で迎えてくれたのです
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3月13日から数日間、米軍の隊員はシャワーを浴びていませんでした
その理由は、
「私たちがシャワーを浴びないと、その分被災者がシャワーを浴びられるから」
同じようにテントも、隊員は小さなものしか利用しないで、大きなものは被災地に届けていました

米軍関係者が付けていた、あのワッペン
見た方も多いと思います
でもあのワッペン、米軍や日本政府が用意したものではないんです
月刊誌『航空ファン』の編集部員の雨宮隆太さんが、米軍の救援活動に感銘を受け1,000枚を無償で提供しました
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各地で救援活動をしてくれた、米軍艦隊ですが
最後の仕上げは、仙台空港の回復です
写真は津波から数日を経過したものですが、まだ水浸しです
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空港に降り立つと、このような有様でした
Cut2019_0901_1859_55.jpg 
3月末、仙台空港の再開を見届けて、米軍艦隊は日本を離れました
隣国や中国、ロシアは何をしていたかと言うと・・・・
日本沿岸上空で、大気中の放射能サンプル調査です

深~~い話は、後編で明らかになります ・・・ 乞うご期待!

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コメント

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感謝

Tomyさんおはようございます。
operation 友達には感謝以外に言葉がないです。
Tomyさんの記事を読んでも涙が滲みます。
被災者の行動は世界中から賞賛され、同じ日本人として誇らしい限りです。我が家もある意味被災者かも知れません。
娘はあの悪夢から、過呼吸で3回も救急車のお世話になりました。それ以来精神科のお世話になり、睡眠導入剤が無いと眠ることが出来なくなりました。完治するまで5年ほど掛かりました。

No title

 Tomyさん・お早う御座います。
 東日本大震災のニュースは、フイリピンで、知りました。
TV画面からは、水に浮かべた、船が濁流に飲まれるように、各家が、呑まれて行く、映像でした。この世のものとは、
思われない、幻の光景でした。Tomyさんは、其の頃仙台に、お住いでしたね、正に被災者ですね、私が遠くから、思う光景とは、離れた、現実が、起こったのですね、多くの国からも、援助の手が、差し伸べられましたが、
未だ被災地は、復興最中、此の震災で、多くの方が、瓦礫に呑まれたりで、命を落としました。あらためまして、亡くらられました、多くの皆様に、此の場を、借りまして、お悔やみ申し上げます。(涙)

東日本大震災での出来事

Tomyさん、おはようございます。
冒頭に私の記事へのリンクを貼って頂き、有難うございます。
米軍部隊他、台湾等多くの海外部隊が日本の災害復興に働いてくれた。嬉しい限りです。又救援物資を受け取る日本人被災者の礼儀正しい姿にアメリカ部隊も感動した記事は、同じ血が流れる日本人として、誇らしく嬉しい限りです。明日の後篇の記事を楽しみにしています。
私事ですが、明日から2週間、日本に帰国します。
其の間、ブログは休ませて頂きますが、時々フェイスブックに日本の出来事を投稿するつもりです。
宜しくお願いします。

Re.感謝

>マランダイさん、おはようございます
実はこういうニュース、私は殆どオンタイムデは知らなかったんです
と言うのも、テレビは転落して液晶が割れて見られないし
暫く停電だったし
ネットも繋がらなかったし
家電屋さんも3月20日ころには営業を再開しましたが、倉庫の在庫分しか売っていませんでした
娘さんですが、フラッシュバックは突然現れることがあります
過呼吸発作は、紙袋を口に当てて二酸化炭素を吸い込むようにしてください
暫くして落ち着いたらそれだけで大丈夫なはずです

Re.

>ダニエルさん、おはようございます
知り合いの女川の開業医ですが、ここは透析施設
透析中の患者を急いで、近くの女川病院へ避難させたそうです
屋上に避難したため、全員無事でした
しかし、肝心の女川病院の入院患者さん
寝たきりの患者さんの多くが溺死してしまいました
3階まで津波に飲み込まれたからです
震災の1週間前には、この施設を訪れていたため他人ごとではありませんでした
院長に会えたのも、約1ヵ月後でした

Re.東日本大震災での出来事

>ヤマハバイクさん、おはようございます
当時は民主党政権でしたね
駐留米軍を除いて、海外からは台湾が一番早く到着しました
しかし民主党は中国に気兼ねして、台湾救助隊の入国を認めず空港に足止めしていたんです
入国できたのは、中国からの救援隊のあとです
そして韓国からの救援隊は20名弱
しかし救援活動はしていません
何をしていたかと言うと、宮城福島在留韓国人の安否確認と、放射線調査
それが終わると、早々に帰国してしまったんです
(中国は誠実に救援活動をしてくれました)
台湾は特筆ものです
1999年の台湾地震では、日本はその日のうちに台湾に到着したんです
台湾はホテルを用意していましたが、日本の救援隊はそのまま災害現場に直行しました
こういうニュースを台湾人は実によく知っているんです
だから、「日本に恩返しするチャンスが来た!」って勇んで来日したんですよ
義援金も、アメリカに次いで世界2番目でした
隣国は・・・・圏外で順位表にも出てきません
民主党、最低です! ・・・・ 激おこぷんぷん丸

Tomyさん、おはようございます。
基本的にお互いがお互いをリスペクトし、他人を思いやる心ですね。

Re.

>チビさん、おはようございます
子供に教えるときには、「お互いにリスペクト」って言うのはまだ難しいので
「相手の立場になったらどう思う?」
「それを考えられるようにしようね」って教えています
最近は、それを考えられるようになってきました

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