米軍の「トモダチ作戦」の、深~~い話(後編)

 1950年9月、アメリカから一人の男、アーレイ・バークがやって来ました
彼はアメリカ海軍の提督ですが、太平洋戦争終結5年後で、朝鮮戦争勃発の直後の時期
当時の日本は連合軍の統治下にあり、アーレイ・バークは海軍副参謀長としてアメリカから派遣されました
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バークが帝国ホテルにチェックインした時、ボーイが
「荷物をお持ち致します」
「やめてくれ、オレに関わるな!」
バークはそれくらいの、筋金入りの日本嫌いだったのです
真珠湾攻撃で親友を失い
太平洋戦争の激戦地、日米合わせて1万人以上の犠牲を出した、「ソロモン海戦」で多くの部下を失いました
「多くの日本人を殺すことなら、重要だ
日本人を殺さないことなら、それは重要ではない」と、訓示したほどでした
公の場でも、「ジャップ」「イエローモンキー」と蔑んでいます
なので、ホテルで日本人従業員がどれほど話しかけても無視していました

バークは殺風景な部屋に、一輪の花を買ってきてコップに差しました
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翌日バークが夜勤から部屋に戻ると、花はコップから花瓶に移されていました 
バークはフロントに行き、
「余計なことをするな、誰が花を花瓶に移せと言った!」
「恐れ入りますが、ホテルではそのような指示はしておりません」
数日後、花瓶には新しい花が生けられていました
「いったい誰がこんなことを・・・」
その後も花は増え続け、ホテルの部屋を華やかにして行きました
バークは再びフロントに向かいました
「誰が花を飾っているのか、探してくれ」
調べた結果、・・・バークの部屋を担当していた年配の女性従業員でした
彼女は自分の給料の中から花を買って、飾っていたのです

バークは彼女を呼んで問い詰めました
「何でこんなことをしたんだ?」
「お客様が、花をお好きだと思いまして」
「そうか、ならお金を払わなきゃいけないな、受け取りたまえ」
「お金は受け取れません、お客様に気持ちよくお過ごしして頂きたかっただけなんです」
アメリカでは、サービスに対してチップを払うのは当たり前のことです
この後、バークは彼女と話し込みました
そして、彼女の身の上を聞くと・・・驚きました!
彼女は戦争未亡人
海軍にいた亡き夫も駆逐艦の艦長でした
しかも、ソロモン海戦で乗船した駆逐艦と運命を共にしたのでした
それを聞いたバークは、
「ご主人を殺したのは、私かもしれない」、と謝りました
「提督が何もしなかったら、提督が戦死していたでしょう。誰が悪いわけではありません」
バークは考え込みました
「俺はいまでも日本人を憎んでいる。彼女はできうる限りのおもてなしをしようとしている」
この差は何なのだ?

のちにバークは、このように言っています
「彼女の行動から、日本人の心意気と礼儀を知った
日本人の中には自分の立場から離れて、公平に物事を見られる人々がいること
親切に対してお金で感謝するのは、礼儀に反すること
親切には親切で返すしかないことを、私は学んだ」


バークは、日本占領を終わらせ日本独立を回復させるように、アメリカ政府に働きかけました
加えて、
日本独立と東アジア安定のために、日本海軍再建まで説き始めました
まだアメリカ人の大半が、反日感情を持っていた時期です
バークは海軍トップの作戦本部長に就任すると、最新鋭の大型哨戒機P2Vを16機
小型哨戒機を60機も、海上自衛隊に寄付しました
バークは、海上自衛隊創設に寄与したとして、「勲一等旭日大綬章」を贈られました
バークは、1991年に96歳で亡くなりました
ワシントンにある海軍博物館に、バーク大将が展示されています
駆逐艦にも、「アーレイバーク級」って名前が付けられているくらいの大物です
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各国から授けられた勲章の数々
しかし、日本の勲章だけが箱しか展示されていません
理由は・・・
バーク葬儀の時、彼の胸に付けられた勲章はただ一つ、「勲一等旭日大綬章」だけでした
彼の遺言だったのです
最後には「大の日本好き」になった、アーレイ・バーク

2011年3月11日
あの「トモダチ作戦」、空母ロナルド・レーガンの艦長の名前は、トム・バーク
何か、が繋がった気がしませんか?

2013年 フィリピンのレイテ島タクロバンを襲った台風による洪水・土砂崩れ
日米が中心となって災害復興を担いました
その名も、「第2のトモダチ作戦」と位置付けられました

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コメント

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いろんな逸話

Tomyさんおはようございます。
この人物には色んな逸話が残っていますね。
開戦時アメリカ大使を務めた野村吉三郎と親交を深めた話はゆうめいですね。
生涯野村を友とし、日本の歴史、日本人の価値観なども話し、其れまで日本嫌いから、親日に変えさせた話は面白いですね。

人生いろいろ

 おはようございます。
ルーズベルト、トルーマンは嫌いです。キッパリ!
過ぎたことです。
隣国のように怨み屋本舗ではなく、未来志向で行きたいものです。
確かにアメリカは「大国」ですね。
全てにおいて、余裕があります。 
お互いに、良き友人でありたいものです。

Re.いろんな逸話

>マランダイさん、おはようございます
アメリカ自身が移民国家で、多民族間の軋轢を会話を通じてお互いに理解しあおうと言う素地もあったんだと思います
当時は、アジアからの移民はまだ少なくて、とてもマイノリティーでした
もしかしたら、彼も白人至上主義だったのかもしれません
日本の左翼思想家も、反米をあおるだけでなく
日本駐留軍人から、親日家が生まれていることにもっと目を向けてほしいです

Re.人生いろいろ

>Jo59635561さん、おはようございます
ルーズベルトは今の韓国と同じように、自分の支持率を上げるために仮想敵を作って、開戦まで相手を追い詰める
なんてことをしていましたからね
それにルーズベルトは、基本的にはレイシストだったとアメリカ人自身が、今では認めています
原爆使用許可を出したトルーマンも、同じだと思います
戦後、アメリカ国内でもそのような評価が出てくる、そう言った環境が大事だと思います

No title

素晴らしい美談ですね!
トモダチ作戦で被爆した犠牲者もいたし帝国ホテルでのことも事実で素晴らしいことだと思いますが

じゃあそもそも日本を追い込み戦争を起こさせたのは誰?
トモダチは無償奉仕だったのか?
私はどうしても裏を考てしまうんです。

美談に水を差すようなコメントで申し訳ありません

Re.

>elnidojapanさん、おはようございます
そうですね~、私は美談もそうですが
人って、繋がってるんだな~と感じました
私は理系で歴史にはとても疎いですが、近代史のみ興味があります 苦笑
ここにKeinaさんが参戦したら・・・・とんでもない事になる?
当時の世界では、欧米列強が植民地を拡張していて、いい悪いではなくそういう時代でした
その中で唯一日本だけが白人社会以外から頭角を現してきたので、「今のうちに叩き潰さなきゃ」って言う流れだったんでしょうね
私はそう解釈しています
日本も勝ち負けより、欧米に対する意地が戦争に突き進ませたのかもしれませんね
でも、トモダチ作戦は無償奉仕だったと信じたいです

No title

涙が出そうな良い話ですね。恨みつらみだけじゃ無く
人との出会いが生き方を変えていくんだということを
教えていただきました。「トモダチ作戦」も、
こうした流れから生まれたんでしょうね。

Re.

>もちや喜作さん、こんにちは
客室清掃のおばちゃんは、ほんの切っ掛けだったかも知れません
長く日本にいたら、いずれ日本人の本質や素養に気づいたと思います
でもこういう逸話が残ってくれてるだけでも、嬉しいですね
後のテレビ報道では、艦長のトム・バークはアーレイ・バークのお孫さんと紹介されていました
実際は孫ではなかったんですが、何かしらのつながりはあったみたいです

日本に帰国しました。

今日の記事、ホテルのおばさんのおもてなしの心が、米国総統の心を開かせた。
私は、この話を真実だったと信じたい。
人は一人では生きられず、絶えず誰かに助けられながら生きている。
感謝の気持ちが、その人を更に幸せに導いてくれる。
宗教心は薄い私ですが、そう言う心掛けを持って生きられたら良いと思っています。

Re.日本に帰国しました。

>ヤマハバイクさん、おはようございます
私のお盆の頃の帰省と違い、少しは涼しくなったでしょうか?
私の滞在中は、連日33~36℃の猛暑でした
帝国ホテルでの逸話は他にいくつもあるんです
バークが長期に現地へ向かってホテルに戻ってきたときには、他の部屋が割り当てられました
客室担当のおばちゃんらが、「何で同じ部屋に戻らないの?」とホテル側に文句を言ったそうです
その話がフロントからバークに伝わり、バークが階下に降りてきました
それを客室担当のおばちゃんらが拍手で迎えたそうです
バークも、元々は優しい気持ちの持ち主だったんでしょうね

この話の出典は?根拠は?
事実かどうか確かめられましたか?
トモダチ作戦のバーク大佐とこの話のバーク大将とは血縁関係はないようですが。
その点も確かめられましたか?
書くなら確かな根拠に基づいて書いてください。
事実でもないことをさも事実であるかのように風説デマを流布することこそ、日本人の誇りを傷つけるものだと小生は考えます。
以上。

Re.

>通りすがりさん、こんにちは
古い記事を読んでいただいて、有り難うございます
はい、血縁関係がないのは知っていました
ただの氏繫がりですが、某テレビ局では血縁ありと誤報していましたね
私は当時仙台に住んでいて、「トモダチ作戦」はとてもありがたく感じたものです
ところで通りすがりさん、こんなつまらないブログなんか読んでないで
もっとためになる他のブログを読んでくださいな 笑