On Timeで知らなかった、シンディおばちゃんの事

東日本大震災のネタ続きで申し訳ありません (今日でお終いにします、お許しを・・・)

当時、私は仙台市内のマンション住まいでした
カミさんは当時、双子ちゃんをお腹に抱えた妊娠6カ月の身重
私は福島出張中だったので、家に戻るまで丸2日掛かりました
その間、同じフロアの仲良くしていたご家族が、カミさんの面倒を見てくれていました
みんなで食べ物を持ち寄り、管理会社から差し入れもあったそうです
マンションの管理会社から、「安全を確認するまで部屋には戻らないで」と言われていました
1階のロビーが、まるでキャンプ場状態です
停電中なので、エレベーターも動きません
7階まで階段を昇りましたが、まだ余震が続いています
全ての部屋の玄関ドアが開いている、異様な光景でした
建物の歪みで、玄関が開かなくなるのを防ぐためでした
部屋に入ると、食器棚も、書棚も、テレビも・・・・全て倒れていました (震度7弱って凄い!)
よくこれでケガの1つもせずに生きていたもんだ! と感心させられます

そんな状態だったので、テレビでニュースも見られず、インターネットも使えず
世の中がどうなっているのか、全く分からない状態が2週間ほど続いたもんです
なので、シンディ・ローパーの事も、数か月後に知ったくらいでした
そのあらましです
シンディは日本ツアーのため、飛行機で移動中、すでに着陸態勢に入っていました
しかし大震災で、成田空港に着陸できません
上空を旋回したのち、やっと横田基地に着陸できました
ホテルに到着したのは、翌朝の4時だったそうです
コンサートメンバーからは、アメリカへの帰国希望の声も出始めました
シンディが夫と電話で話した時、こう言われたそうです
「自分の人生だから、自分で選びなさい」
シンディは決意しました
『こんな時に私にできることは、友達に背中を向けることではなくて、友達のために歌うことだ』
日本がこんなに大変な時に、なんでライヴやるのか?とかいろんなことを言う人もいました
でも、でも、多くの外国人が日本から逃げ出す中、シンディはあえて残ってくれた
自分にできることは音楽、だから音楽で力を与えたいと
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電力をなるべく使わないようにと、薄暗いステージ、暗い客席 
シンディは客席へ何度も降りて行き、椅子に登って立ち上がり、会場中がひとつになっていく様 ・・・・ 
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終演後、シンディの希望で設置された義援金箱
もちろんシンディが率先して立ちます
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東京・名古屋・大阪で計7回の公演
その最終公演は、シンディの希望で、ネット生中継が決まりました
決まったのは、最終公演の2時間前
なのに、133,494人の視聴があったそうです
YouTubeなどに震災直後のシンディのライヴがアップされていますが、このネット生中継の動画ですね
客席の日本語ができる外人を見つけて、シンディの思いを通訳してもらっていました
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コンサート7日間の義援金総額、4,872,796円

「また戻って来る!」
と誓って日本を後にしたシンディは、翌年約束通りに被災地を訪れます
津波の被害にあった石巻の大街道小学校を訪問し、子どもたちに桜の苗をプレゼントしました
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津波で流されてきた楽器の修復を行う楽器店『サルコヤ』を訪問した際には、
シンディ自ら壊れたピアノを購入
そのピアノは2016年に石巻に完成する病院ロビーに寄贈しました
(真ん中の男性が、ピアノを修復した井上さん)
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すっかりお婆ちゃんになったシンディ・ローパーですが、彼女の名誉のために
若くて可愛かった頃の写真です 
(彼女の自伝本の表紙より)
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忘れないよ、あなたの事 ・・・ そして、ありがとう

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コメント

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素晴らしい歌手ですね。

Tomyさん、おはようございます。
ホテルの客室でこの記事を読みました。
私が記事を書いた、仙台から来た孤独な旅人も、音楽の力とセブの子供達の笑顔で、人生をやり直す勇気を掴んで、帰国しました。
人それぞれに、得意分野やその人が果たすべき役割が有ると思います。
他人の事は判っても、自分の事となると、さっぱり判らなく、迷ったり、悩んだりしながら生きて居る私ですが、それもまた、人生なのでしょね。

No title

 Tomyさん・お早う御座います。

 奥さんが身重な状態の時に、東日本大震災だったのですね、私等は、TV画面から、流される、放映を眺め、
ため息を付いて居りましたが、Tomyさんの、その当時の、
心中を、考えたら、申し訳無さで、いっぱいです。
それだけに、ダイちゃん、ミーちゃんを、思う気持ちは、
改めて、理解が出来た、感じが致します、m(_ _)m

Re.素晴らしい歌手ですね。

>ヤマハバイクさん、おはようございます
自分を犠牲にしてまで、そこまで献身的でなくていいと思います
自分に出来ることを、無理なく行う
それだけで十分なんじゃないでしょうか?
私も移住して、近所の孤児院には年末に一度の訪問だけは続けています

Re.

>ダニエルさん、おはようございます
まず第一に、贅沢は追い求めなくなりました (自分の中では)
そして今を精いっぱい生きる
あの当時の経験は、そりゃもう、人生観を変える出来事でした
原発の水素爆発ではなく、もし炉心爆発が起こったらすぐに避難できるようにガソリンは満タンにしていましたが、買い出しをしているうちに山形へ逃げるのが精いっぱいの残量になっていました
無事出産までこぎつけられて、本当に幸いでした

大変な体験でしたね

Tomyさん大変な体験をしましたね。
あの時の恐怖は忘れられません。妻は仕事で出掛けていて私と娘がいたのですが、ピーンとテレビに緊急地震速報が流れたので二人でダイニングテーブルの下に潜り込みました。ダイニングボードの中の食器が落ちて割れてすぐ側に転がって、愛犬が腰を抜かした様に鳴き声を出して震えていました。後で震度5強と知りましたが、私は瞬間日本が終るのではと思いました。其の後大津波の映像をテレビで見て、石巻湾が炎上する映像が映し出され、更に千葉のコンビナートで火災が起きていました。
連日の津波の映像を見た娘が突然呼吸が出来なくなって、袋を口に押し当てたのですが、収まりません。仕方なく救急車を呼び病院に連れて行ってもらいました。点滴を打って貰いきたくしましたが其の後二回同じ症状が出て救急車で運ばれました。

余裕

 おはようございます。
豊かな国アメリカ、大国人の余裕でしょうか?
ありがたいですね。
従兄弟がアメリカの友人宅を訪問したら、農場に案内されました。
大きな倉庫の中には、車5台にセスナ1機、空中散歩したそうです。
・・・豊かさ半端ないですね。

反日教育三ヵ国人は、心に「反日の種」が潜んでいます。
それなりの心構えが大切です。
それなりの裏はあっても、お も て な し。

私がまだ   
フサフサだった頃(笑)

シンディ・ローパーのコンサートに
行きました。(笑)

一見不良に見える彼女
根はいい人だったんですね。(笑)

Re.大変な体験でしたね

>マランダイさん、こんにちは
娘さんの過呼吸発作、袋を口に当ててもダメでしたか
補液は重炭酸リンゲルを点滴するだけなので、対処としては簡単です
食器棚や書棚は転倒防止器具「つっかえ棒」をしてました
後でわかったんですが、あれって震度5までしか有効ではないんだそうです
なので震度7弱では、全く役に立ちませんでした
テレビも液晶が割れて、ご臨終でした

Re.余裕

>Jo59635561さん、こんにちは
アメリカは国土も大きく豊かですが、国民の教育レベル、素養の振れ幅が大きすぎて、「アメリカ人」って一括りに出来ません
私の回りにいたアメリカ人も、「いい人」は、本当にいい人でしたね

Re.

>Keinaさん、こんにちは
フサフサだったこと、あるんですか~ 笑
私は、秋田沖地震の時も、たまたま秋田市に居たんです
男鹿半島では、製薬会社のロシュの社員で、日本への赴任が解かれてスイスに帰国前の秋田旅行
スイス人の夫婦が津波に飲み込まれてしまいました
シンディはプロレス会場に飛び込んできたり、ハチャメチャしてましたもんね
生粋のニューヨーカーで、普段は落ち着いた方らしいです

いい話です。(^-^)

シンディ・ローパーは好きな歌手の一人です。
いい人なんですね!
最近は仕事や家事に追われ、音楽に無縁状態(汗)。
しかしこんなにロラになっていたなんて・・・・
自分もロロになる訳だあ~(笑)。

Re.いい話です。(^-^)

>まさみさん、おはようございます
しっとり歌うこともあるけど、ハチャメチャに飛び回って歌ったり・・・
ほんとニューヨーカーって感じです
いまは、66歳になっていますが元気ですよね~